主催のぞのが、大阪で人が集まる会を始めた理由。
沖縄で、毎晩のように人が集まる家をやっていました。
初めて会った大人と中学生が同じ卓で本気になって、夜中まで笑っている。そんな毎日が、ある年まるごとなくなりました。
大阪の教習所の指導員を辞めて、ひとりで沖縄の今帰仁村に移り住みました。知り合いは一人もいません。
そこで、街コンやポーカー大会を自分で企画しました。手作り市やパーティーも。人を集めて遊ぶことばかりしているうちに、村で少しずつ名前を覚えてもらえるようになりました。
2015左は海の見えるテラスでのランチ会。国籍もばらばら。右は家で開いたパーティー。
だったら、人がいつでも集まれる場所を作ろう。そう思って、クラウドファンディングで応援してもらって始めたのが民泊です。3棟4室の、小さな宿でした。
ピザを並べたり、刺身を広げたり。みんなでひとつのテーブルを囲む夜が、たくさんありました。
今帰仁村でやっていた民泊
2015-2016左はピザパーティーの前、右はみんなで囲んだ刺身。
家の中だけではありません。原っぱに出て、風船を投げて、走って、最後は顔を白くしたまま全員で写真を撮る。大人が子どもみたいに遊ぶ日もありました。
2015.11遊び終わって、みんなで。
修学旅行の生徒も受け入れるようになりました。
初めて会う中学生と、まずは動物占いをして打ち解けます。そこから、いろんなゲームをして毎日遊びました。ぼくが一番好きなのは人狼ゲームです。
ゲームになると、中学生も大人と同じ卓で本気になりました。楽しい日々でした。
修学旅行の生徒を受け入れていたころ
2015.10民泊の夜は、床に座ってゲーム。
観光のお客さんが来なくなって、民泊を小さくしました。
この先なくならない仕事を、と考えて目指したのが看護師です。34歳で看護学生になって、37歳で看護師になりました。同期は22歳でした。
大阪に戻って、今は看護師をしています。
看護師として働く毎日と、あの頃の毎日。そのギャップを感じるたびに、やっぱりあの楽しかった頃を、もう一度自分でつくりたいと思うようになりました。
大人になると、集まる理由は飲み会か仕事になります。ゲームがあると、初対面でも話題を考えなくていいです。肩書きも年齢も、卓の上では関係ありません。
お父さんお母さんが遊び方を1つ覚えて帰れば、家で子どもと遊べることが1つ増えます。
民泊をしていたころから、来てくれた人の旅のハイライトになりたいと思っていました。「来てよかった」ではなく、「ここに来たかった」と言われる場所に。
今もそれは変わりません。会えてよかった、ではなく、会いたかった。そう言ってもらえる会にします。
あの頃の夜を、もう一度。そのためにこの会を開きます。
主催 ぞの大阪の教習所の指導員を辞めて、26歳で沖縄の今帰仁村へ。民泊を開く。今は大阪で看護師をしながら、人が集まる会を開いています。
13:00〜16:00
2,500円(ソフトドリンク飲み放題)
2人なら1人2,000円